栗谷利夫著「夢現」

『MUGEN(夢現)』第69話 社会を思う集団作り

浩は永竹から「熊本出身の青年が東京にいるので会って欲しい」と言われた。永竹は、江戸慶安(一六五〇年頃)創業の歴史のある菓舗の長男で、ITの仕事を行っている。彼とは、幕末維新の志士に擬(なぞら)えて、互いに(勝)海舟、(西郷)隆盛で呼び合い、社会的な行動を共にする仲となっていた。

 上京の折、早速件の青年に会ってみると、なるほどその男の眼は、獲物を獲る豹のように爛々と輝いていた。浩は即座にこの男を郷土に帰して、地域を活性化しようと思った。というのも、浩が還俗し、お寺から東京へと脱出した際、師匠からこう言われていたのである。

「浩よ、もうお寺に帰ってこなくてよいが、地元熊本に帰って来なさい。東京の塵の存在でなく、地域をより豊かにする雄になれ!」

 この言葉を浩は、これから生きる地域出身の若者への指南として、片時も忘れたことはなかった。中央は自然と人もお金も集まり発展し、地方は寂れていく図式。このような状況の中で、如何に地方を豊かにするかは、やはり一番は人だ。そして、中央に居る優秀な地元出身の若者を如何に帰郷させ、あるいは今いる若者を地方に留めさせるかである。

 浩は、彼を説得し、見事に熊本に帰らせることに成功した。彼の受け皿が必要と考え、一つの社会企業会を設立した。ここは、自社を成長させながらも、常に社会のことを考える経営者達が集まり、「良い地域社会を創ろう!」という目的を掲げている。彼と、これから社会活動を共に担う奈美子の二人を、企業会の事務局スタッフとして推薦した。みるみるうちに、思いの熱い企業が百社集まった。皆からの人望のある、浩より三つ上の西光会社の岩原社長が会長、浩やハート&グリーンで行動を共にした岩原専務をはじめ、熊本の元気企業の代表たちが幹事となった。この中には、先々多面的に行動を共にする若き川田青年もいた。

 何事も綺麗にすること、その最も大切な行動はトイレを綺麗にすること。この事は既に、イエローハット鍵山秀三郎創業者によって全国に広められていた。「凡事徹底」を提唱する「日本を美しくする会」を設立し、日本に百カ所以上、中国、台湾、ニューヨーク、ブラジル等海外にも広げていった。社会企業会も毎月日曜日の朝に、公のトイレ清掃を行うことを、この会のシンボル事業とした。

 鍵山創業者のお話しを聞く機会もあり、その中で

「まずは自分一人からトイレ掃除を始め、黙々と清掃していたら、隣のトイレに社員が来て、その飛沫を受けることは度々で、このような状況が十年続きました。そのような状況から今では全員が——」

 浩はこの話を聞き、上に立つ者は辛抱心がないといけないんだなあ、「お前は!」等怒ってはいけないんだ、と大変勉強になった。以来怒るという感情が見事に減り、「ありがとう!」と感謝する、良い感情が沸いてきた。そして、仲間たちと会を創って「良かった」と思うようになったのであった。

 地域を豊かにする大きな方法の一つに祭りがある。熊本市内にもう一つ新しい祭りを創りたい! と浩は思った。早速、祭り男の岩原専務と、デパート再建に乗り出した角本社長と三人で話し合った。熊本県内にも多くの祭りがあるものの、意外と知られていない。であれば、このような祭りがわかるように、一挙に合成した【祭りガッサイ】を創ろうと浩が提案した。行動の早い岩原専務が、女性たちを中心に集めそのことを話した。話し合いの結果の報告で浩は、女性たちの祭りに対する意欲的な姿勢に、頭をポカリと叩かれたようであった。「これからは男性が中心で物事を考えるのでなく、男女共同参画で考える時代」と、説教を喰らったように思った。

 そして、歴史と文化を組み入れた静かな祭り、【熊本暮らし人まつりみずあかり】が熊本に誕生した。竹のぼんぼりに熊本の名水を注ぎ、この中に蝋燭を立て、阿蘇のご神火を点し、願いごとを書いた短冊を添えた「竹ぼんぼり」を飾る。この蝋燭には、熊本藩主第六代細川重賢の行った「宝暦の改革」の一つ、櫨蝋燭(はぜとうろう)を使っている。この祭りには思いある人たち、そして思いある企業などの組織体が結集した。崇城大学の先生と研究室、特に池川チカオ、七城ケンシのデュオ「ちかけん」による大きな竹オブジェの制作、更には多くの社会人と学生のボランティア、社会企業会の中心メンバーの一人川田は、竹の切り出しから、片付け運搬の重責を担い奔走した。浩たちの会社も、全員ボランティアに馳せ参じた。祭りを始めて三年目、午前零時の祭り終了後からの後片付けは、浩たち中心メンバーによって行われた。それが終わる頃には、朝日が眩しく輝き始めていた。

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