栗谷利夫著「夢現」

『MUGEN(夢現)』第65話 繋がる人間模様-3-

清家とは大学時代は縁がなく、社会人になってからの交流であった。ある時、いつも遅い帰りの浩が深夜三時ごろ彼の借家の窓から侵入してそのまま寝入ってしまい、明け方彼が寝ぼけたまま立ち上がり、お互いに仰天したことは良い思い出だ。若かりし頃のヤンチャな出来事のワンシーンだ。役所の経済関係の部署にいたから、浩をよく講師に招いてくれた。その甲斐もあって関与先が拡がり、事務所黎明期にはとても有り難かった。

この懇談会メンバー唯一の独身であったので、クリスマスの時期の飲み会では彼は面白がって「ジングルベル・・・」でなく「シングルベル・・・鈴が鳴る」と歌っていたもんだ。そんな彼が五十半ば、可愛い子供のいる美しくあったかい雰囲気の看護師と突然結婚した。満面の笑みの清家と奥さんを囲んでみんなでのお祝い、夜遅くまで盛り上がった。

 銀行の早田とは学生時代に佐野たちと敢行した徹マンが思い出での一つである。あまりにも熱中しすぎて、気がつけば鶏が鳴いていた。これはまずい、学校の勉強も国家試験対策も出来なくなると考えた浩は、彼との麻雀は後にも先にもこの一夜限りにした。彼を思い出すたびに卓を囲みたくなったが、必死の思いで我慢した。

マスコミに就職するかと思っていたら、早田は推薦を受けて銀行員になっていた。あれっと思ったものの、その実銀行の本部・広報部で活躍し、彼の長期にわたる居場所になった。銀行のマドンナ的存在の女性を見事に射止めて結婚、浩は司会の大役を引き受けた。その後浩はよく早田の職場を訪問し、経済や経営について談論した。早田は博学多才で学ぶ事が多かった。早田は惜しみなく本部融資部や支店との繋がりをよく進めてくれて関与先増加への処方を出してくれた。ところが、銀行退職後彼は帰らぬ人となってしまった。それまで病気知らずの彼であったが癌という病には・・・。懇談会の仲間とよく自宅の位牌に手を合わせ、夫人と思い出を語り合った。鴛鴦(おしどり)夫婦、今なおずっと一緒の仲良しの光景が浮かんで来る。

 少し年下の新谷は事務所の松竹と大学の仲の良い同級で、卒業後は経済雑誌社の大阪支社長で頑張っていた。しかし、父の会社の経営が上手くいかなくなり、借金が膨らんでいった。新谷はこの父の借金を返済したいと、自ら新しい事業を立ち上げた。独楽鼠(こまねずみ)のように動き、お客さんが指数関数的に増加、素晴らしい経営者の道を歩みだした。

さらに社会活動は尋常でなく、子供たちへのプレイパークを創り、地域からも大学同窓OBからも最も信頼される存在となって、同窓会でもよく活躍した。浩と新谷とはよく海外、特にNYに行き、獣医学ではトップの大学への研究を委託するために、現地の森CEOと田中社長と共に四社で合弁会社を立ち上げた。この研究成果により、リモナイトの日本国内での養豚界への営業が拡がりはじめた。NYでの交流も深まる中で、森CEOが六十を待たずして他界したことは辛かった。日本の墓とは違い公園のような清らかな風を感じる樹木葬の場所で手を合わせた。今も事あるごとに思い出す人である。

 経済記者の鬼山は、彼が東京支社長をしていた時代に、彼のアパートによく泊めてもらった。彼の人柄はとても明るくて、奥さんは学校の先生、そしてとっても可愛い小さい娘がいて、まさに理想を絵に描いたような家庭でもあった。彼のおかげで各界での著名な人々との人脈も大きく広がっていき、楽しかった。そのような鬼山もパーキンソン病という病には勝てなかった。

 司法書士の小島は、今では「海舟と隆盛」のような盟友の存在で、命の尊厳を考える会等を一緒に立ち上げ、如何に社会をより豊かにするかを常日頃談論する仲である。事務所も同じビルにあり、更にあと三箇所にも事務所を持つ県内最大手の司法事務所へと成長し、このことは浩にとっては我が事のように嬉しかった。信託専門、後見人専門の人材も育って、毎月休日に一日研修を行う事務所の姿には、浩は自然と心ばかりの励ましをしようと足が動いた。小島は今でもある国家試験を受けるために勉強を続けている。生涯学習を実行している人物でもあるのだ。

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