憧れの大都会、東京。その現実は浩にとって厳しい日々であった。勉強しようと求めた東京、その勉強の前に生きるための仕事の新聞配達の仕事が早朝から夜まで続いた。 一戸建ての家、今で言うアパートや、一棟が二十世帯ぐらいの共同住宅は、廊下の左右に各部屋があった。この時代には、このようなタイプの住まいが多かった。配達技術が増して来た浩は、次第に配達時間が短縮し始めてきた。アパートの入口から、殆ど新聞を購読している方の部屋の前に、新聞をサッと廊下に滑らせてその部屋の前に止める技術を覚えた。ピタリと止まる瞬間が楽しかった。時々失敗もあり、その部屋に近づくと、男女の話し声、何かお酒を飲んでいるような雰囲気やいびきがパーカッション奏者の演奏のように聞こえる事もあった。 一番嫌だったのは、番犬のいる家であった。特に番犬に吠えられながら玄関のポストに投函する家は嫌で嫌で堪らなかった。毎日が、東京の現実の一面を垣間見る朝でもあった。配達時間の短縮は、「しめしめ、勉強が出来る」と、配達や集金以外の時間に必ず町の図書館に行くものの、お寺の時代と同じように睡魔が襲って来た。この眠たさを無くそうと、販売店での美味しいご飯と味噌汁の朝食を少なめにしてみたが、効果はなかった。それは昼までにお腹がすいて持たなかったからやはり沢山食べてしまうのである。 配達に意気を感じガムシャラに走っていた時から、一ヶ月を過ぎ、さらに二ヶ月三ヶ月過ぎると、急に受験の心配が冬の風とともに襲ってきた。このままでは、どこの大学にも合格しない。焦りと共に、どうしようもない日々を生きるようであった。そして、その受験は、当然のように、どの大学も不合格であった。 不合格から暫くした春めいた陽気のある日、近くの公園を通ると、花見で賑わっていた。その花見の中に吸い込まれるようにぼやっとしていると、「おい、にいちゃん、こっちに座らないか」中年のおじさんからの声に、浩はいつの間にかその花見の茣蓙に座っていた。三十人ぐらいの団体の花見であるが、どうも若者がいなくて、中年や初老のおじさんおばさんの集団であった。やがて二十歳になろうとしていたので、まあ飲んでもいいや、と盃にどんどん注がれる酒を飲み干した。初めて飲む酒、こんなに酒が美味しいのかと思った。仲の良いこの集団は日頃は何をしているんだろう。みんなあったかく仲良しこよしの感じで、あっという間に浩も溶け込んでいた。 どうやって宿舎に帰ったか記憶がなかった。この日は日曜、夕刊がなかったのが幸いし、早朝のみんなのドヤドヤとした足音で目が醒めるまでぐっすりと寝入っていたのであった。あとでわかったのであるが、「この町の助け隊」と言う勝手連の組織で、日曜や朝などに、みんなで集まって町を綺麗にしたり、身寄りのないお年寄りの家を訪問したりする人たちであった。暗く淋しそうな浩を見て誘ったとのことであった。それからは、この方たちの集まりに時折顔を出すこととなり、チョコレートや果物などお金のない浩にとっては嬉しいプレゼントや、将来についてもよく話を聞いてくれた。お年寄りの家を訪問した時には、唖然とする光景にも出くわした。まさに牢屋のように、裸電球にカーテンも無く、何も無いような家に一人でポツンと暮らす姿には、やがてやってくる高齢化社会の姿を考えさせられた。 国つくり、どのように日本丸をより良い姿に持って行くのか?この時から少し政治に関心を持ち始めた。
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