栗谷利夫著「夢現」

『MUGEN(夢現)』第23話 還俗・新聞少年2~

アパート一棟、共同の炊事場と便所、風呂場はなく近くの銭湯に行く生活が始まった。「リーン、リーン」朝の四時に各部屋から鳴り響く。各部屋と言っても、障子一枚の部屋や三段ベッドでの部屋や、まさに蛸部屋の状況であった。 今までのお寺の生活は朝の四時半起床であったのが、更に早い時間になり、浩はここで先ずは世の中の厳しい現実を感じた。全てに厳しいと思ったお寺の生活より、さらに朝の早い生活に戸惑った。 洗面所で顔や歯磨きをする者もいれば、そのまま飛び出して行く者もいた。浩は、混み具合でその日その日をどうするか選んだ。走って配達店に着く。大きなトラックで、「ドーン、ドーン」と一纏めにした新聞が十束ぐらい落とされていく。当に戦場の雰囲気である。 急いで紐を解き、中からまだ印刷の臭いのする真新しい新聞を取り出す。各人自分の持ち件数を間違えてはいけないので、急いで四部ずつ、指で数える。その持ち件数プラス三を受け取る事になっていた。十人ぐらいの人数だったか、時々枚数が合わない時は、店主からやかましく叱られ、全員やり直しをさせられた。最初は浩も数え損ないがあって皆に迷惑をかけていたが、一週間もたつとその失敗はなくなった。もう一つやっかいなのが、宣伝のチラシを挿入する作業であった。店主にしてみれば、チラシが多いほど収入が多く入るのでニコニコ顔であったが、配達員にとっては、チラシの枚数が増えるほど嫌であった。「俺が店主だったらこのチラシの収入をみんなに還元するシステムにするんだがなあ」ブツブツと呟いていたら、店主が「おい、こら、浩、喋っている分、手の作業というものは遅れるのだ。早くしろ」問答無用の命令である。確かに時間との闘いの中での作業には、一心不乱で行わないと、販売店の出発が遅れてしまう。みんな競うように一番出発や早めの出発を目指していた。「行ってきまーす!」早めの出発の者は威勢がよかった。浩は、最初は勿論のことラストの出発、店主も苦笑いしながら見送ってくれた。自転車の後ろの荷台に乗せた新聞があまりにも高いので出発早々転倒することが多かったが、店主はじっと見守るだけであった。 後で分かったことであるが、途中転倒の時は当然一人で対応しなければ行けないので手をさしのべなかったのである。何事も経験することで上達するものである。出発も早くなり、転倒もしなくなった。次第に新聞配達員としての自信が湧いてきて、面白くなってきた。 ただ、時間が相当かかる業務で、勉強ができない不安が広がっていった。朝は最初の頃は三時間半、夕刊は三時間、そして夜集金に二時間、合計八時間半である。次第になれてきたので全てに三十分ずつは縮まった。空いた時間に近くの図書館に行き、「さあ勉強するぞ!」と思いきや、睡魔に襲われる日々となり、またお寺の生活と似た、勉強には遠い環境となっていった。それでも、折角得た新聞少年という職業を誇りにも思い頑張った。一ヶ月の一度の慰労会は楽しかった。この時の店主と奥さんは、まるで父や母を感じるように温かかった。 思い切り食べることができ、好物の肉を大判振る舞いであった。「浩君よ、若い時の苦労は買ってでもせよ、の格言は人間形成には大切なんだよ。こうして苦労すると立派な大人になっていくんだよ。後でわかるんだよ」

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