栗谷利夫著「夢現」

『MUGEN(夢現)』第60話  「確定申告」

この三月初旬は、先月より始まった確定申告の最大の山場でスーパータイトの時期、職業から来る因縁めいたものを感じる時でもある。一年間のその人の事業活動の成績表として、損益計算書、貸借対照表が出来上がり、確定申告書へと進む。喜びも悲しみもこの中にぎっしりと詰め込まれている。浩は、いつも最後の女性スタッフが帰った深夜、ふっと自らの若き勤務時代の事が頭によく浮かんで来た。

 日焼けした飲料水の外交員の方々二百人、農業の方々百人、そしてホステスの方々二百人を担当していた。この五百件のほかにも事業所得、不動産所得、役職員の皆さんの申告等、日夜ねじり鉢巻であった。特に夫婦家族の資産運用の合算課税申告にはとても時間がかかった。入力すれば答が出る今のIT社会ではなく、自分で計算しなければならなかった。当時から疑問を呈する論文も出され、浩も同感であったが面倒であることが浩の本音であった。大物政治家自身、この合算申告でややこしいとのことで廃止になったようで、このような閉塞感にはやはり伝家の宝刀、政治の力が必要である事を感じ、以来浩は、より良い社会を生み出すには、素晴らしい政治家と交流し、思いを伝えることが大切だと思った。

 そのような中、キャバレー宇宙界のホステスのみなさんの申告は、多用極まる確定申告業務の中にも若い浩にとってはひと時のオアシスでもあり、いつもこの時期になると思い出すシーンでもある。夜の社交界、歌があり、ショーがあり、ラスベカスのスモール版の場であった。夜の六時にキャバレーの楽屋裏の場所に三人で出向き、三日間十二時近くまで、ホステスさんが入れ替わり立ち替わり面談、確定申告を進めた。初めて訪問した時は、びっくり!中には、レースの透けた服には、真面にその人を見ることは出来なかった。しかし慣れでいつしか気になく接するようになっていた。二百人のホステスさん其々の一年間の売上が宇宙界事務所から提供された。ああ、この人が、上から何番の方とついつい値踏みしてしまい、トップ3には自然と興味津々の浩がいた。なんでそのようになるのであろうか?お客様からの指名があり、そのお客さんの支払い金額が算定になる世界であり、正に事業主オーナーでもある。1番の方は四十九歳、2番の方は四十四歳ではあるものの、若い人たちとは桁違いの売上であった。二人とも特に美しいとは?燻銀の輝きに魅せられるような二人は仲が良く、申告のお礼と言って、十二時五分前の蛍の光で閉店後、必ず美味しい鮨屋さんに極上握りを思う存分奢ってくれた。ああ、このような気遣いが成績に出ることを学んだ。未だ若い浩には3番目の三十三の方、美しくもスポーディさも明るさもウットリ、仕事はなんとか完成させていた。三回目の申告のたまたま一人での訪問であった時、「浩さん!御礼に我が家でお昼を」その一言で頭の中がカオス状態、耳たぶが熱くなるのを感じた。「はい」と言うのが精一杯だった。

 いよいよ当日の訪問、綺麗なマンションの四階、入口のベルを押すのにも勇気がいった。「はーい!いらっしゃーい。腕を振るって作ったわよ」甲高い声でもあったが気さくな言葉に、少しは安堵し落ち着いた。ホステスさんは夜と昼の顔が違うと言うが、全く同じ、健康的な顔であった。「あなたはこれからの人、しっかり頑張って立派な人になりなさいよ」と母か姉のように時には窘めそして励ます語らいであった。流石に二百人中3番、いずれはこの人がトップになるのではと周囲も見ていた。このような人との出会いの中からこれからの人生への学びをクロップし重ね続けた。そして、浩が開業した年際に「今度私、お店出すので見てくれるかしら」と喜びの電話であった。とても開店以来繁盛していたが、お店を一年で急にバタバタと閉店、後日夜の帝王と言われる人から「あの方はその名も轟く大富豪の御令嬢、何も仕事をしないでも生きて行ける人なんだよ」と。以来音信不通となり、最後の電話を受けた時にこれからの連絡先を聞いておけばよかったと反省した。

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