栗谷利夫著「夢現」

『MUGEN(夢現)』第53話 夢の国イタリア1~

大学の高瀬教授から「浩君、イタリアと熊本を掬びたいんだよ、一緒にやらないかい」「えっ、イタリア?ですか」「そうそうイタリアなんだ。私が以前二年間留学した国なんだ。経済的にも文化的にもとても勉強になる国なんだよ」「そういえばそうですね。世界中で活用され、私たちの仕事の最もベースとなるB ook -keeping複式簿記は、十四世紀から十五世紀にかけてのルネサンス期にヴェネツィア商人によって発明されたと考えられ、イタリア人数学者ルカ・パチョーリ が一四九四年に出版した書で明かにされたようですね。それと古代ローマとルネッサンス!」「さすが浩君、わかっているじゃあないか。如何にイタリアが魅力あるものであるってことをね。話がわかるので直ぐさに協会を立ち上げようじゃあないか」二人は戯れながらも割り台詞のように最後は「イタリア協会設立」でその日は終わった。大学OBの集まる会が定期的に開催され、この大学OBからこの大学の教授になった高瀬先生はOB会としても誇りの先生であった。ただ浩も、大学時代に会計学の教授から「大学院に進学すれば、わしの後釜に君をする」との言葉を頂きながら、実経済社会の中で生きて行くことを好み、浩にジェネレーションギャップを感じた教授はこの話は没に。そして今回のOB会ともなれば、教授の立ち位置は高い存在で謦咳に接するであった。高瀬教授は、「イタリアほど中小企業が見事に育ち、世界的ブランドになった企業が多いんだよ。例えばプラダ、グッチ、フェンディ、ミラ・ショーン、ヴァレンティノ、ヴェルサーチ等等凄いもんだよね。このイタリアの中小企業を学ぶと熊本の中小企業も世界企業になれるんだよ。世界中から知られる企業って、誇りでないかい」「はい!埃はよく着きますが、誇るって素晴らしいですね」「こらこら浩君、またいつもの饒舌駄洒落言って!時には、沈黙思考してみたら」教授とも親しい仲になっていた浩は、イタリアという国を調べれば調べるほど趣深いアトラクティブな巨人に見え始めた。イタリアに心惹かれた浩は、早速、「協会を創るにあったて、やはりイタリアを観ておかないと行けないですよね」「そうそう、そう来た。その通りだよ。一五八ニ年天正遣欧少年使節団、正に伊東マンショ、千々岩ミゲル十人超一行の時のように、君と私で十人程度声かけて行こうじゃないか」「やった〜!歴史と文化と、そして私たち中小企業の学びの国イタリア!あ〜先先生、、、イタリア、ああイタリア」浩は愛でるように呟いた。
「いいなあ!若々しくて、若いっていいなあ!」(先生もまだ四十代で若いじゃないですか)と言おうとしたが話が錯綜するといけないと思い暫し沈黙にした。教授はイタリアに二年間の留学時代の知り合った、日本にイタリアを持って来たと言われる人、現在東京とイタリアを往来されている西村暢夫さんを協会設立の特別顧問としてお迎えしたい意向であった。そう言えば、小さいころ、スパゲティと言う言葉は使っていたが、パスタ等使っていなかった。イタリアと言えばこの方の名前が最初に出て来て、イタリア書籍の輸入、翻訳を行い、果物や野菜にとって気候がとっても良いトスカーナ地方のシェナに日本人のための料理学校を設立し、日本でのイタリア料理普及など、日伊文化交流に尽くした功績で、一九八〇年サンドロ・ペルティーニ大統領から教育・文化・芸術銀賞を授与され、九九年イタリア政府から大騎士の称号を授かる等、日本とイタリアの架け橋一人者の方であった。浩は、かなりタイトな日々であったので、ゴールデンウィークの中にすっぽりと入る今回の視察を三泊五日の強行軍の企画を出してみた。教授は渋々「浩君、イタリアという国は、ゆっくりじっくりのんびりと物事を楽しむ国なんだよ。代表的な言葉は、“Mangiare, cantare, amore!”「マンジャーレ、カンターレ、アモーレ!」食べよ、歌えよ、愛せよ!」この価値観のお国柄、君のようにバタバタと行く事はね。でもまあいいや。これから幾度となく行くことになるだろうから先ずは行くということは意味があるからね」教授は満更でもなく、浩たちを他の若者を凌駕する姿に顔を綻ばせていた。早速、参加する仲間を募った。この中には、これから同志の存在となってお互いを育み合う小島司法書士、肥後経済の佐藤木綿さん、小さい時から可愛がっていた元倉まゆさん、そして協会の事務局長にと考えていた尾中さん、この尾中さんは浩の二つ上で、アメリカから帰って直ぐに浩の勤務時代の会計事務所に一年間の研修、以来すっかり仲良しこよしとなり、湯島での彼の恋に一役買ったこともあり、ところが以前の兄貴の賭博事件から会社倒産、と言うことで、浩の事務所に入所となっていた。海外に通じると思い今回の登用となった。

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