栗谷利夫著「夢現」

『MUGEN(夢現)』第8話 幼少期・姉兄働く1~

兄が飴工場から持って帰る飴が唯一、家庭の宝物であった。お米ご飯を食べることなどほど遠く、麦ごはんが頂ければ最高、殆どが芋であった。その芋も家の中には全く無くなってしまい、ある時、浩は
「もうだめだ!」
 と思い、意を決したかのように、八百屋で魚一匹を掴み逃げようとしたところ、簡単に捕まってしまった。 
 でも、世の中もおおらかな時代、
「おーい、お前の家の今夜の御馳走だよ、持って帰ってみんなで食べろ」
 と、大きな声で叫ぶこの店の親父の笑顔が今でも浩の脳裏から消えない。このような経験のお陰からか、大人になってからの浩はどんなことでも許したり、見逃したりする、包容力のある性格を持つようになっていった。 
 他人が何か不始末を起したときも、生命に関すること以外は
「何かそのようにしなければならない訳があるのだろう」
 と考え、その人が将来再起や豊かになるような方向に進むことへの手立てを考えるようになっていった。
 浩の住む町も、日本人の持つ真摯な生き方から、俄かに鼓動し始めていった。このような日々の様相から次第に配給も減り、無くなっていった。アメリカ軍の存在は、一歩一歩後退して、日本は、焦土から緑ある大地へと変化し始めて行った。
 住まいを、篭町通りへ移した。同じ安い家賃ではあるが、二階はダンスホールで、長屋風の家の前には屋台を出すことも出来、流れ客がよく入ってくれた。浩は小さいながらも、よくダンスホールでの喧嘩騒ぎや、ガラスの雨が降る様子の記憶が脳裏に刻み込まれた。こうした中にも、両親のこの屋台は、美保子にも浩にも楽しい場所として、出入りし、二人の小さい子どもの存在がお客にも食事の中にも癒しを与えていたようであった。二人もその感覚をキャッチしていた。こうしてお金も僅かであるが蓄えることが出来、長女真喜子も帰熊し、当時最も街中の下通の一角に小さいながらも家族みんなで食堂を開くことができるようになった。家族以外にもきよちゃんとみやちゃんも雇用するようになった。母の性格から、仕事がないから雇って欲しいとのことからの雇用のようであった。浩は小さいながらもそのような母の姿を尊敬していた。そして小学校に入学、街中の学校で、勢いづいた商店街の子供たちは、みなお金も豊かにそして優秀であった。
 そのような中、家族の幸せも束の間、父の戦争被害による目が日に日に悪化していった。医療機関も多くない中、探し当てた医院の医療費も嵩んでいった。父へのケアが最も大切な時期でもあったので、長女と長男の強い進めもあって、母は思い切って食堂を閉店、父の目となって過ごした。おかげさまで長女と長男の働きで一家の生計はやっと成し得ていた。住まいは、安いところから安いところへ転々としていった。浩も何回転居したかわからないほどで、ある時は大邸宅に住むこともできた。それは、無料の家だった。豊かな方が暫く家を空けるので、住んでみてはとの計らいでもあった。洋館建で、部屋は、一部屋一部屋が広く七部屋もあり、浩は夜になると怖かった。トイレも遠くにあり、何か途中幽霊でもでそうなぐらい廊下を長く感じた。今までが狭い部屋住まいでもあったので、尚更そのように感じた。

関連記事