病院勤務の生活はますます忙しくなったが、忙しいというより、やり甲斐のある日々となった。事務所も、病院から車で五分の場所へ引っ越し、動きやすくなった。 朝は五時には事務所へ出勤して、二時間弱業務にあたった。そして七時には病院に入った。七時半から院長との打ち合わせ、八時半からは医局打ち合わせの日課であった。夕方六時半ぐらいまで病院に勤務して、夜は病院関係や事務所関係で動き、帰宅は十一時頃であった。疲れる事はなかった。疲れるどころか、あれもこれもやることがいっぱいで、楽しかった。以後一日も休まず 三百六十五日勤務の日々であった。 子どもが一人二人三人四人と生まれるにつれ、月一回の日曜日はとるように努めた。子どもをどこかに連れて行くことは必ず行った。「三つ子の魂百まで」のことわざのように、幼少期の子どもとの触れ合いが、その子の一生を決定すると思った。想像力が高まる場所を考えた。緑の多い山や紺碧の海、レジャーランド等、子供が大いに、はしゃげる場所を選んだ。絵本のある場所や美術館、図書館、歴史の場所等にも一緒に行った。 会話の中で、「こんな仕事は、面白いね!こんな仕事が世の中にはあるんだよね」音楽のこと、バイオのこと、美容のこと、料理のことなど、「仕事は、世の中で最も大切なことであり、仕事を通して全てが動いているんだよ」とよく話した。「もし、大昔に生まれていたならば、狩猟漁労の生活、つまり今生きて受けている恩恵は、全て自分でしなければならないのだよ。おかげさまで人類の進化により、社会的分業を成し豊かな今を私たちは生きている。そうであれば、その分業の中の何かをしっかりと極め、働くという尊い行動をする人間には義務があるんだよね」 浩は、生きる力を持つこと、将来仕事に思い切り打ち込める自分を磨き育てることを力強く教えていった。どこの学校にいくかでは無く、何を将来したいのかで進路を選択するように伝えていた。しかし、それも中学の頃までで、それからは、一切、どうこう伝える事はしなかった。中学卒業後は、自分で生きていく力を身につけさせたかったからだ。 実際に四人の子供たちは、中学卒業する頃には、未来の自分の職業をとらえたようであった。 同じように、病院に入社する新人教育には、力を入れた。一週間の研修プログラムを組み、浩自身は、病院全体がどのように動き、どのようにお金がまわっていくのかの【病院経営・組織論】を担当するようにした。職員には、どんなに良い行動と自分が思っていても空回りであれば良い結果は生まれないことを認識してもらう様努めた。お互い協力して頑張り、他の専門職との連携を大切にする。その結果、患者の方の病気回復及び、より早い回復を目指すことが出来るという組織論を説いた。また、この病院がこうやって多くの方々をケアできるようになった背景、建設、銀行、地元の方の協力など、感謝を持って仕事にあたる大切な精神的な事も分かりやすく解説した。さらにお金がどのようにして入り、どのように出ていき、働く人たちへの給与還元が行われるかも図解した。 新人のスタッフが食い入るように聞く姿は、この病院は未来輝く方向に進んでいるんだと嬉しくなった。やり甲斐があった。
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