栗谷利夫著「夢現」

『MUGEN(夢現)』第26話 福岡〜大学時代2~

正月、義兄から「税理士って儲かるよ!」の一言に自分の将来の道を決めることにした。貧乏な生活から逃れ、両親を少しでも応援できればとの気持からで、何の職業でもよかった。税理士になるには経済系の学部が良いと思い、運良く地元にその学部をもつ大学があった。この大学の競争率は、商学部が名目4.5倍、実質2.4倍、経済学部は実質2.8倍であった。今からの一ヶ月、貯めたお金で生活できるので、猛勉強すれば競争率の低い商学部に合格するかもしれない。もし落ちても夜学に商学部があると思いながらも心の中は穏やかではなかった。直子も公立大学に行ったし、友人の殆どは、著名な大学に通っている。しかし、今の自分には、この地元の大学も受かる実力はない。何とか頑張って合格しようと、猛烈に勉強した。

  •  二月の終わりの発表で、見事に合格、内心ホッとした。その喜びも束の間、これからどうやって生活と学業、更には国家試験受験を乗り切ろう、と考えていると、窮状を知った慎一郎兄が、

「木工所の社長宅での住込み家庭教師を見つけたぞ。」と話を持って来てくれた。浩は飛び上がるように喜んだ。「よし、これならいける!」 浩は入学とともに、この住込み家庭教師と、日曜日や夏休みの木工所でのアルバイト以外は、学校の勉強と国家試験の勉強に専念した。学校の勉強は、全科目の平均点が八十点を超えると、特待生になり、全額授業料免除となるからである。会計学研究会に入れば国家試験の情報を得やすいのではと思い入部したものの、残念ながら国家試験を目指す人は一人もいなかった。 しかし、折角入部してすぐ退部するのも申し訳ないと思い、続ける事にした。元々国家試験を目指そうとしていたが銀行に就職が決まっていた先輩から、特に可愛がってもらった。 二年に上がろうとする時、家庭教師先の子どもが、急にもう勉強はしたくないと騒ぎ、あっさりとこの住込み家庭教師の職は失った。確かに出来の良くない子ではあったものの、仲良くやっていたのにと思いきや、当然のことながら自分自身を反省した。何かが自分に足りないのではと考えたが、浮かばなかった。二年生からは、兎にも角にも何かの仕事をと考え、家庭教師を三件と土日や夏休みの土方作業などで生計を保ちながら、勉強した。 お陰様で、学年で二、三人しか取れない特待生に毎学年なることができた。更に大学三年生から受験出来る簿記論と財務諸表論の二科目に見事合格した。この時既に銀行勤務であった先輩は、我が事のように喜び、銀行の寮の部屋でお祝いにと鍋をご馳走してくれた。とても嬉しかった。その日はそのまま先輩の部屋に泊まった。 ところが大学四年の時、驚きのニュースが届いた。この先輩が自室の風呂のガス漏れが原因で急逝されたのだ。悲しみが嵐のように襲ってきた。まるで弟のように自分を可愛がってくれた先輩が、まさかである。天草松島の自宅でお葬式が行われた。先輩のお骨を持って、お母さんや妹さんたち、親戚の人たち、村の人たちが、家からぐるーっと田圃を通りすぎ、そして帰ってくるという今までに見たことのないお葬式であった。それから暫くの間、浩にとって空しい日々であった。実の兄とは十七歳も年が離れ、兄は父親代わりの存在だったので、この先輩がまさに兄貴のようであった。いつも浩の生活を心配してくれていて、困った時にはいつでも言えよと、大学生活への保障を得たような存在であった。 その後、相当の歳月が経ったある日、松島の家を訪問した。お母さんは、悲しみから立ち直られて元気に過ごされていて、少し安堵することができたのだった。 

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