事件から一週間ぐらい経ったある日、商材の卸会社の女社長であり、逃亡した塩の大手会社社長の奥さんから電話があった。奥さんのお兄さんと借入の返済について今後の対応を話しあって欲しいとのことであった。 お兄さんは、財界でも有名な、熊本に大規模な工場があり全国的に販売する大手菓子メーカーの社長で、業界を一手に纏め上げた協業組合理事長であった。 熊本の本社の会議室にて、浩の病院勤務の関係から夜の七時から始めることになった。 行ってみるとそこには、なんと、先日の取り立ての最も怖い男が、あの日とは別人のように柔和な姿で座っていた。理事長と同級生と分かり、協力してくれるようだった。 男が「原井さんが出てくると、今回のみんなは手を引くだろう。カタギの人だが、我々の世界のものも、あの人には歯が立たねえからなあ」と、よく意味がわからないことを言い出した。『原井社長』の名前に嫌な感じがしてきたものの、失礼します、と退席するわけにもいかず、ズルズルと話の中に入り込んでしまわざるをえなかった。男は、「原井さんのところに先ずは挨拶に行こう。その方が、あとのおさまりが良いかなあ」と言いながら、どうも原井社長の次に自分の貸付分を貰おうとしているように見えた。お兄さんの本社のビルには大きく銀マークが飾ってあり、銀のマークに目指して、一斉に押し寄せ、取り立てようとの噂が流れているとのことであった。その前に原井社長と話し、抑えをして貰っていた方がいいのではとの結論になった。 数日後の夜、原井社長宅に三人で訪問した。門をくぐるや否や、バタバタバタと鷹が飛び交い驚いた。そして玄関までが長く、またその玄関には、舞い上がる龍が刻み込まれ、浩は次第に身体が強張りはじめた。武者震いを抑えながら玄関を開けると、そこには正座で頭を下げたお手伝いさんがいた。厳しい教育が成されているかのように機械的に機敏な動きであった。座敷に通され、これまたビックリ、大きな般若の面が壁に飾られ、威圧的に私たちを見下ろしていた。まさに八方からいつでも襖の外に刀を抜いた武士が控えているかのような雰囲気が漂っていた。出されたお茶を飲める空気ではない中で三分間は非常に長く感じられた。襖が開き、颯爽と現れたのは、銀髪の初老の恰幅の良い原井社長と、公家のように品の良い奥さんであった。「おう、理事長さん、旦那さん、そしてワシに実印を渡さなかった根性ある部下の親分さん、この度は、えらいことになりましたな」あたかも、どうにかしてくれ、という雰囲気であった。理事長が、「義弟が大きな不始末を犯して申し訳ありません」深々と頭を下げるので、浩もその流れで同じような行動をとった。頭を下げながら、なんで自分がこんな目にあわないと行けないかとの思いと、この場の恐怖とが入り乱れていた。それからも数回訪問する羽目になった。いつも「あいつは見つかったんかい!」同じ会話の繰り返しだった。原井社長は一本筋を持った人で、『結局あんたたちには関係ないことだよね』と冷静な判断力もあり、また、話す中で、法律面も詳しいことが伺われた。 最初はこの家に入ることが怖かった浩も、次第に慣れて来て、最後の頃は自然に「こんばんは・・・」と。ああ、人間って面白いものだな、度胸って、このようにしてつくんだなあ、と、今回の経験も良かったと思いはじめた。 この訪問の話が債権者たちに広まったのか、奥さん宛の催促の電話はピタリと止まった。
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