栗谷利夫著「夢現」

『MUGEN(夢現)』第9話 幼少期・姉兄働く2~

ある時夜も遅い時間に、長女真喜子がうな垂れるように帰って来た。お岩のように顔は腫上り、浩は見るに堪えなかった。友人が恋人から殴られようとしたときに止めにかかり、煽りをくったらしく、痛々しかった。病院に行くお金もなく、ひたすらオシボリに水を濡らして当て、洗面器の水を何度も何度も母が明け方まで換えていた。
 浩はふと思った。
「もし、わが家が裕福なら、優秀な姉ちゃんにこのようなことにもならなかったのでは。」
と、貧しい我が家の状態を恨んだ。浩の三つ上の美保子は、学校から帰るや否や、「姉ちゃん。痛くない?」と優しくおしぼりを換え続けた。塗り薬も貼り薬も何もなかった。手当の甲斐もあったのか次第次第に腫れが引いていき、数週間後には、大きな血の塊の跡は残ったものの元気に職場に復帰した。復帰前の夜は、高価なものは買えないものの、日頃より少し良い食料材料を買ってみんなで快気祝いで喜んだ。親子兄弟姉妹の仲は頗る良かった。
 浩は二十歳も離れた姉真喜子の存在は、二人の母親を持つような感じでもあり、姉美保子は、年が近いことからもいつも一緒で弟浩を可愛がった。この愛情が、浩にとってはかけがえもない姉の存在へとなっていった。お金がないので如何に工面するかを考えた。無料で住んだ大きな家の場所は健軍で、城東小学校までは七キロから八キロもあったので、電車で通っていた。帰りは時々歩いて帰っていた。定期券のない時代で、同じ料金で、健軍から水道町で降り、水道町から藤崎宮までの乗り換え切符を貰うことができ、乗り換え切符を貰い、乗り換えずに当然水道町から小学校まで歩いて行き、学校の帰りに、その乗り換え切符を利用していた。いつもは難なく乗車していたが、ある時車掌さんに見破られ、しこたま叱られた。しかし、その中でも魚をとったときのように、お金を出せとは言われなかった。貧乏が多い、情けのある時代でもあった。この時の経験は後に「騙されてても、時にはそのまま騙されたふりをすることも大切なんだ」と、ある悟りを覚えたようであった。何も困っていない人には絶対に許せないことかもしれないが、困っている人には、時として止むを得ないできごともあるのでは、と思うようになったのである。
 小学三年生になるや否や、放火により一夜にして楽しい学び舎の校舎を失った。全校生徒が集まり、校長は生徒の前で泣き崩れた。生徒も俯いたままであり、当に敗戦の日本を表すような光景でもあった。全校生徒は、学年毎にバラバラに他の学校の空き部屋への転校となった。親しかった先輩や後輩との暫しのお別れでもあった。家も街中から黒髪の熊大のそばに移転した。まさに長屋、入り口左に一軒、そして我が家、わが家を左手に進むと左奥に一軒、そしてさらに右奥に進むと一軒、合計四軒の家の長屋で、水道と便所が共有であった。夏には中庭、中庭と言うと聞こえが良いが、ちょっとした小さなスペースがあって、長屋のみんながよく盥に水を入れて行水をした。父たち男は褌をつけ、年配の婦人たちは薄い下着をつけていた。今となれば風情のある光景でもあった。

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