医療業界にも、高齢化社会への対応という新しいウエーブが押し寄せて来た。 今までの病院や老人ホーム一括りから、要介護老人の心身の自立を支援し,家庭への復帰を目指す施設として,病院と家庭、老人ホームの架け橋となる老人保健施設と言う新しい施設制度が誕生した。 行政からも市民からも多くの信頼を得るまでの地域密着型の病院に成長していたことから、行政から是非とも県内第一号としてこの施設事業を行なって欲しいとの要請があった。 新しい施設を建設するにあたり、多くの視察を試みた。既に関東圏では、保険制度とは関係の無い有料老人ホームが存在していた。千葉県房総半島南部の館山のある有料老人ホームの雑誌の記事が目に留まった。早速訪問を試みた。そこでは、若い時は美しかっただろうなあと思わせる初老の園長婦人があたたかく迎えてくれた。小さな施設であったが、その施設にとてもぬくもりを感じた。時を忘れるぐらいの時間話し込んでいた。「この施設の山の向こうには悲しい物語のサナトリウムがあるんですよ。それは、明治になって、高貴な婦人たちが病で入所されている施設なんです」話の中で、どうして病気になったかが想像でき、歴史の痛みを感じた。「少しでも、人生の最期の老人期を豊かに過ごして頂きたいと思い、この施設を作りました」と。園長も浩も不思議なくらい心が通じあい、あっという間の半日が経ち、お互いに名残惜しそうに別れた。 それから、日本で最も大きい静岡の有料老人ホームの施設に向かった。多くのブルジョワ夫人たちが入所していた。その中でも日本を代表する誰もが知る企業の会長夫人が入所されていて、幸運にもお話することが出来た。単刀直入に「どこが良くどこが問題でしょうか?」との問いに、地位もあり高齢もあってか、大きな声で遠慮なく「あの人の応対が最高、幸せ!…それに比べて、あそこの…全く対応がなってない、最低!」よくもズバリ指差し名指しで言われるなあ、と思ったものの、浩は、千葉の施設にしても、ここの施設にしても、やはり人間対人間、人があたたかいか否かで全てが決まるんだなあ、と心の中にある大きな袋の中にこのことをしっかりと入れ込んだ。 帰り着くと早速、職員教育計画を深く練り、更には、職員にも入所者にも優しく負担にならない施設創りと機器の選定にとりかかった。体力による優しさの限界もあると考え、その優しさが最大限に発揮できるハードとソフトの両面から検討を行った。 この点を含め、理事長の聡明さと設計事務所の感性の高さで、完成後は全国的な多くの雑誌に何度も紹介されるモデル的な施設となり、このことがスタッフの大きな成長にも繋がっていった。 基本基調を和風とし、各部屋の入口には庇も付けられ、廊下の窓側には全てそのまま腰掛けることが出来る可愛いベンチ式に、更には、シニア世代の大好きな温泉も掘り、そしてハイカラ好きなシニアの方々のことも考え、大広間は、スキーのロッジ風のゆっくりとした空間を持たせた。当時としては日本でも初めての斬新なつくりであった。 毎日全国から見学者が訪れ、これからあらゆる地域での社会が良くなる事であればとの思いから、丁寧に応対し、全てのノウハウや資料をプレゼント、来訪者全ての人から喜んでもらった。 気がつけば、一年間で千もの施設から訪問を受けた。目まぐるしい対応に、さすがの浩も少々バテ気味になったが、反対の立場、所謂自らが訪問者であったならば、今から開設する立場であったならばと思って、常に心をフレッシュに明るく対応を続けた。
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