一九八一年(昭和五十六年)新年早々、浩は開業した。今まで勤務していた所長も駆けつけて来て、「何もないといけないから、丸一商会さんを引き継ぎなさい。もう先方にはお話ししているから」「わあ、所長、ありがとうございます。ゼロはゼロのまま、一が生まれれば、無限大になります。釈迦は、コンピューター社会を予測したかのように、コンピューターでは0と1の数字のみ、一〇八の煩悩の数→無限大、を説きました。1と0とで8、つまりサン数字で表現の∞が生まれるのですね」「おお、君は元僧侶だけあるね。その言葉でもう心配いらない。君の事務所は、やがては私の事務所よりは大きく成長していくだろう。頑張り給え」浩は、所長のあたたかい心遣いに少しでも答えようと、盆暮れの挨拶、更には、時折夕食に招いた。 浩と嘉吉は、朝六時に出勤し、事務所に祀る仏様の前で読経を行って一日をスタートすることにした。先ずは営業ありき、であった。銀行回り、商店街を一軒一軒個別訪問、夜は飲み屋街を訪問した。「なんでもします」このうけが良く飲み屋のお客さんが急速に増えた。また建設業の三歳年上の兄貴のような社長から多くの下請けの会社を紹介頂き、半年もたたないうちに関与先が五十件にも及んだ。また以前のお寺の師匠の娘婿の方が、大きな病院を開設することで、急速に実務面での仕事も忙しくなって、まさに毎日が戦場そのものの様相を呈してきた。夜は遅く帰り、朝は早く家を出る生活を送り、仕事が出来る喜びから来るエネルギーに満ち溢れていた。 五月一日、病院のオープン、嘉吉と診察カードの第一号第二号をゲットした。設立の先生の技術力と人間性、建築会社が不動産を担保に提供し、延べ払いで良いとの条件、銀行が思い切って貸し出す、この三つが見事に開院に導いた。そうは言うものの、民間でこんなにスケールの大きい病院が成り立つのだろうか?と疑問視する声があちこちから聞こえ、成り立たないだろうという意見も多かった。 理事長とはよく打ち合わせを行った。「計算通りの計画は、スケールの小さいものになってしまう。不可能を可能にする強い志を持ち行動し続ければ、妙不可思議な現象が現実化される」と理事長が語ると「思考は現実化する」ナポレオン・ヒルの成功哲学の言葉を浩は返した。既に一回り違いの兄弟のようになっていた。 ある土曜日の夜、病院の管理清掃会社の親しい社長ご夫妻も交えて、理事長宅で打ち合わせ兼食事会を行った。心楽しく語らいが続き、やがて午前0時に差し掛かろうとした時、一本の電話が理事長の元に入ってきた。病院からの電話で、「患者さんが救急で運ばれています。先生どうしましょうか?」普通なら人間である限り、一瞬嫌な表情が出るものである。しかしその時の理事長の顔は衆生を救いたいと思う神仏の顔そのものに化していた。「今すぐ行きます。手術の準備をお願いします」手術は朝まで続いた。見事に成功、患者の家族の喜びはひとしおであった。現世にも神仏が目の前にいるんだなあと思った。
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