栗谷利夫著「夢現」

『MUGEN(夢現)』第19話 寺院生活・苦しい時代3~

今日は毎月行く荒尾の日、車は勿論無いし、バスや汽車で行くお金もないので、お下がりの壊れかけた単車でいつも行くことにしていた。暖かい季節の時は良いが、冬になるとさすがに厳しかった。学校が終わり、そのまま向かい、一時間を超える時間であった。五十㏄の一番小さな単車なので、大型車のようにはいかないものの、若い浩はけっこう飛ばした。危ない場面も多かった。特に大型トラックから追い越されるときは怖かった。通過するときの風の振動で、単車が倒れそうにもなった。何故か、田原坂では故障でよく止まった。日本の歴史上最後の内戦での田原坂での戦いは、一万三千人以上の戦死者を出したというほど凄まじい戦いであったようだ。ここでの亡くなった方々の魂がやはり道を遮っているのではないかと浩は思った。 「南無〇〇〇〇〇」と大きな声を張り上げて、単車を力強く押しながらのセルとアクセルを駆使しながらエンジンを起こした。いつも三回ほど行い、何とかエンジンは起きた。また、あまりの寒さ、特に爪先lが凍るような、感覚の無い足の状態を回復させるために、途中降りて、足を地面に叩きつけるようにバタバタさせた。血が通い始めるようであった。 荒尾では、一軒のお金持ちの信徒以外は貧しかった。先方の要請で、いつも先ずは、お金持ちの家に行った。そこの仏壇の祈願文は「一、〇〇裁判解決の御願 二、家族問題解消の御願 ・・・」であった。その家を出ると、この地のまとめ役の組長さんが玄関先にいつも出迎えて来てくれていた。日雇いの労働をされていて真っ黒に日焼けした初老の婦人であった。でも顔立ちは良くて、「若い頃は綺麗だったんだろうなあ」といつも浩は思った。 担当して一年ぐらい経ったころ、初めて若かりし頃を聞く事ができた。かなり商売も上手くいっていた中で、ご主人が急死されて、それからが大変になられたとのことであった。 この方の家では鮨詰めになるように多くの人たちが集まっていた。みんな貧しかったが、明るかった。この方の仏壇の祈願文は「一、今日一日ありがとうございます 二、家族みんなで・・・」でなんの不平不満もない感じであたたかかった。集まった方もみんな話す内容が楽しく明るかった。浩はいつも不思議で堪らなかったので、ある時聞いてみた。「みなさん、毎日労働きついでしょう。お金もそんなに貰えないし、、、」と、少し暗めの顔で聞く浩に対して「お講師様(この宗派の僧侶への呼び名)、私たちは、今ここに生きているだけでも幸せなのです。戦争で多くの人を亡くし、炭鉱の事故でも亡くし、今ここに生きる私たちは、亡くなった人の分だけでも、その人を思い、その人を明るく迎えたいと思います。亡くなった多くの方々が、ここの灯に寄り添って来てくれているようなので、明るく語りあうのです。その人たち(霊)もとっても喜んでくれているのです」 浩は、体から何かスーッと抜けるものを感じた。いつも力んでいる自分がいたのだ。 もっともっと、今を生きていることに感謝をしなければいけない、もっと笑顔で生きなくてはいけない、といつもは説法する身でありながら、逆説法を頂いたように感じた。それからというもの、毎月のここへの訪問がとても楽しくなっていた。集まる人たちとの親交も深まり、家族的な喜びの会話が多く飛び交った。「今度孫が生まれました。元気な赤ちゃんです。娘も元気にしています」

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