栗谷利夫著「夢現」

『MUGEN(夢現)』第66話 高校時代のおもいで

生活情報懇談会の中心メンバーが同じ高校であり大学であったので、その時代の生活がくっきりと浮かんできた。
高校時代は正に暗い洞窟の闇の中を一本の蝋燭を灯火しながら歩くようであった。時折友と語ったり、お寺や信徒の家で集まった信者の皆さんの前で仏の教えを教導するときだけが、洞窟の穴から明るい陽の光が差し込んで来るひとときであった。その以外、特に学校の授業時間はまさに拷問にかけられたように、睡眠時間三時間から来る睡魔との戦いで、例えようの無い苦しみの地獄模様であった。あれほどすらすら解けていた問題が解けなくなり成績が急降下、学校に行くことが喜びから苦しみへと変わるとは全く予期せぬ出来事であった。
そのような状況もあり、ある信者宅の訪問の際に、いつもニコニコ顔の初老の夫人、母のような方にお会いする事はひとときのオアシスで嬉しかった。ある日、思い切って尋ねることにした。「どうしていつもそんなに笑顔でいらっしゃるんですか?」おもむろに彼女は応えてくれた。「私にとってこんなにも幸せに感じる日々はないのです。仏様って本当にいらっしゃるんですね。」そう微笑んで、彼女は過去を語って聞かせた。
戦後まもない頃、主人は会社が倒産した後病気で亡くなり、三人の子を抱えながら仕事は見つからず、当時は国の支援もなく、もう何の蓄えもなく将来への希望もなくなったある夕暮れ時、三人の子供を連れて、いつの間にか鉄道の踏切に来ていました。遠くの方から汽笛が聞こえ、私の心は既に死へと向かっていました・・・。やがて汽笛がさらに近くに鳴り響いてきたとき、『死んではいけませんよ』後ろから大きな声で見知らぬ人が肩を抱きかかえたのです。私にとっては、死ぬも地獄生きるも地獄・・・。その場で泣き崩れました。
その後、菩薩のようなこの方から電球売りの仕事をお世話して頂き、息子を小学校に出し、二人の娘を、背負ったり連れ歩いたりしながら行商生活を始めました。
中々売れずに、一日にやっと一個売れ、夕食はコロッケ一個という日も多く、
『ひもじいよ、お母ちゃん』とわが子の泣く姿を見ながら、自分の身の悲哀をひしひしと感じました。始めたのが寒い冬の頃でなおさらでした。しかし、『いけない、あの時死んでいたのを助けて頂いたんだから』と、その時を思い出しながら、歯を食いしばりながら行商に励み、次第に電球が売れ始めて、何とか一家を支えるまでになりました。
息子もそろそろ中学卒業するという頃、
『いよいよあなたも卒業ね。普通高校それとも商業高校、どちらに進むの』
と問いかけると、思いがけない言葉が返ってきました。
『お母さん、今日まで僕たちのために一生懸命に働いてくれてありがとう。もうお母さんは働かなくていいよ。足が棒になってるでしょう。僕は高校に行かなくて働くよ』と。
その春は肌寒く、桜がまさに咲きほころばんとするころでした。集団列車に乗る息子を駅で見送ったのです。プラットホームからいつまでもいつまでも列車を見送り、涙はとめどもなく溢れてきました・・・・・。
それから二十年の月日が経ち、私のもとに一通の手紙が参りました。息子からでした。
『お母さん、嫁も子供もみんなとっても元気です。それからこの度、私はこれまでの仕事が評価されて、取締役工場長に任命されました。部下は、私よりも遥かに学歴の高い人たちで、とっても仕事をよく頑張ってくれている仲間たちです。チームワーク抜群の仲間たちです。お母さん、これまで私たちを育ててくれてほんとうにありがとう』
今度は、集団就職で送り出した時の悲しい涙ではなく、春の花が咲き誇る大きな喜びの涙がとめどもなく溢れでてきました。

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