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第6話 父の戦争時代3

 終戦、というか敗戦というべきか、静かな冷たい空気が漂い続けた。生きているのか死んでしまったのか。家族はひっそりと父を待っていた。
 お昼頃、「ただいま!」と、ボロボロに敗れ油がべたついた軍隊服の男、それは父であった。
 見るに堪えない姿ではあったものの、いつもの陽気な、なんの憂えもない顔をしたいつもの父であった。家族や書生は大喜び、近くに住んでいた社員たちはいつしかみんな自然と集まり、戦争にでも勝ったような「バンザーイ!」のコールが暫く止まなかった。その夜はお祝い事があったかのような一夜の宴となった。
 翌朝、社員の前で
「みなさん、ありがとう。おかげで帰ってくることができました。これから私たち家族は海を渡って日本に帰ります。皆さんのことは生涯忘れることはありません。そして必ずみんなの前に帰って来て、一緒に仕事をしていきましょう」
「はい、みんな待っています。必ず帰って来て下さい」
 そのように強く話したものの、二度とこの地に帰ることはできなかったのである。盛雄は戦場での爆風で目を患っており、それから次第次第に悪化していった。

 母にとっては、悲しいことの連続であった。母の兄弟姉妹は五人、昔ではそんなに多いといえないこともあり、幼少頃、壱岐の島ということもあってか頗る仲が良かった。でもそのような仲も戦争という悲劇がひとつひとつ捥ぎ取っていったのである。長男は、壱岐から早稲田へ進み、体格も良かったので相撲部で活躍、しかし二十三歳の若さで亡くなり、妹も小学校に入ってすぐに亡くなった。最終的には母と母の姉だけが生き延びるという悲しい家族になった。この時代に若くして亡くなるということは、そう珍しいことではなかった。そして終戦、戦争にいったままの次男の消息を案じていたが、悲しい知らせに終わった。
 

 戦争が終わった二年後の昭和二十二年十月十九日付で一通の通知が届いた。
「ソ連ブラゴエチェンスク地区シマノフカ収容所にて戦病死」
 強制収容所での生活が厳しかったのだろう。多くの日本人家庭に送られたたった一枚の紙であった。

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