新聞配達をして丁度一年、このままではまた大学に行けないと思い切り、浩は、販売店のおやじに、やめる相談をした。「バカヤロー」と罵声を浴びせられるかと思ったが、まるで反対の言葉が返ってきた。「よかろう、よく一年頑張った。これからはしっかりと勉強に専念して、大学に合格しろよ」と、快く送り出してもらった。 とはいえ、何せ飯代を稼がなければならず、勉強も充分できるアルバイトがあるという博多からの情報が入ったので早速移った。電信電話公社の下請けの会社。最初の仕事内容は、電話線が地下に埋設されているので、この中に入っての仕事であった。ところがこれまた労働時間はなんと深夜労働であった。夜の八時ごろ、やや車が少なくなりはじめた頃から始まり、明け方の車が多くならない頃まで、中心街のマンホールの中に通る電話ケーブルの下の汚泥水を汲み上げて清掃する仕事であった。まるでバキュームカーそのものの車に乗っての作業で、若い浩にとってはとても恥ずかしかった。重いマンホールを二人で金属棒で開けて、先ずは、ローソクを持って入り、ローソクが消えたら入らない、つまり硫化水素ガスが発生しているかの確認である。外には、危険防止の立札を立てるものの、車が暴走してきたり、マンホールの中の奥に入って、硫化水素ガスを吸ったりでもしたならばと思うと、後で振り返ればゾッとする内容であった。わからないからできる仕事でもあった。横断歩道に近いマンホールでの作業中には、覗く人が多かった。「何してんの、あっ、汚い」多くの人がそう言葉を吐いて過ぎ去っていった。悪臭の時が多かった事も。あるとき「わあ、大変なお仕事ですね。頑張ってください」とあたたかい笑顔で言葉をかけてくれる人がいた。「何のお仕事をされているのですか?」と思い切って尋ねてみた。「幼稚園で働いているんですよ」と。この時以来、幼稚園の先生が大好きになった。思い起こせば、浩は、幼稚園にいけなかったので、その行きたかった願望もあったようだった。 三ヶ月の期間のマンホールでの仕事が終わった頃、丁度冬に差し掛かかっていた。次は測量の仕事が始まり、これから電話線を設置したり、電話線の設置場所を変えたりする為の測量であった。寒い風に吹かれたり、雨の中でも測量に休みはなかった。零細企業の場合、そのように休む余裕は無かったようだ。何故ならば、会社としては、安い宿と言えども、早く終わらないと費用が嵩むのである。朝早くから日没まで外で測量を行い、旅館での夕食後、いつも零時前迄図面の仕上げが行われた。この仕事で浩はまた世の厳しい現実を見ることとなった。 十二月末迄勤務の約束である最後の頃、佐世保の教会前に夕方差し掛かった。この日は眩いくらいの夕陽が浩たちを照らしていた。突然後ろから「何しているの」と聞いたような声に振り向くと、そこにはあの直子が立っていた。高校時代の可憐な様相とはまるで違って見えた。ただ大きな瞳は以前と全く変わらなかった。未だ浪人中、それも確たる進学のあても無い状況の浩、言葉は続かなかった。直子はそそくさと立ち去った。何故か浩は暫く夕陽に輝く教会を見続けた。虚しさを隠すような気持ちで堪らなかった。もう二度と会いたくない、永遠に消えて欲しい光景であった。まさか直子とこのような場所で会うことも、そして二十年後に、再び直子と再会するとは露にも思わなかった。直子は、その後からだに大きな障害を受けることとなるのであった。
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