栗谷利夫著「夢現」

『MUGEN(夢現)』第44話 設計さんの怖い物語~

病院、老人保健施設、特別養護老人ホームと大きな三つの施設は、患者の方々や地域の方々への機能の回復や維持を成す大変有意義な施設と成長した。さらに健康への予防ケアの施設も完成した。浩は、地域社会をガッチリと受け止める重要な医療福祉健康の、いわゆる健康村の構想でもあると考えた。横浜の設計事務所のスタッフの雨井さんも近くのアパートを借りて常駐して施設管理にあたられた。浩とも大変親しくなった。ある時「浩さん、以前は仏門に入られていたと聞いたんですが、、、実は、、、朝五時頃になると、必ずと言って良いほど図面が揺れてですね。ちょっと怖くて気味が悪いんですよ」その話を聞くと、昔の僧侶時代の色々な多くの出来事を思い出し、一晩そのアパートに泊まることとした。その夜は、何か修学旅行にでも来たかのように雨井さんと楽しく話が弾んだ。いつのまにかぐっすりと休んでしまい、ハット気づいたその時間、ちょうど五時、図面のところが言われたように揺れ動いていた。浩流の考えで、おそらく魂がここに宿っているのではと考え、「あなたはもう亡くなっているんですよ。あなたがこの世の人と会話はできないのです!これから寂光浄土へ行ってくださいね。そうしたら、そのまま浄土にいても、また生まれ変わることも選べるんですよ!」暫く、浩はその場で恰も誰か人がいるように語り続けた。それから不思議なことに、その時からもう図面が揺れることは無かった。多くの場合、どこにでもこのように自分が亡くなったと気づいていない方の霊はあるように浩は思い、お弔らいやこのように霊に語る事は大切なのではないかと思った。このような事もあり、家族のような親しさが生まれ、横浜の設計事務所の子金所長と雨井さんから横浜元町への案内を受けた。一八六〇年ニ月の横浜開港に伴って立ち退いた旧横浜村住民がこの地に移住したことで「横浜元町」と呼ばれ、明治維新の頃には外国人向けの商店街として栄え、今日横浜元町通りも新たな町通りとして賑わっていた。その町づくりの一翼を担っていたのがこの設計事務所であったのだ。この元町通りを案内を受けビックリとも感嘆とも言える雰囲気を味わった。まだまだこのような商店街を意識して見たり通ったりしたことはなく、今までは、幼少の頃の子飼商店街を何気なく歩き、お菓子屋があれば喜ぶ程度の感覚であった。フクゾー、近沢レース、キタムラのバッグ、多くの店々、どこも押すな押すなの大賑わいに体が熱くなっていった。心が高揚した証拠でもあった。「そうだ!お世話になっている方に」と、この三つのお店からシャツとハンカチとバッグを購入した。子金所長の仲間でもあるこの社長さんたちの紹介を受け、今までに見た社長像とは全く異なる異国を感じる雰囲気を社長さんたちは持っていた。この子金所長は、芸術センスが高く、浩にはそのセンスがやや劣るものの現実を捉える力は高かったのでよく語りあった。互いにお互いを尊敬する仲になっていった。感性と実学の応酬は、若き浩にとっては、思考とプレゼンテーションを大きく高めていった。子金所長が来熊の時は、雨井さんと、後に局長をバトンタッチする濱高君も一緒に、夜の熊本の街中を渡り歩いた。ブランデーの好きで、カラオケも好き、気づけばいつも午前様、浩も頗る楽しかった。なぜかと言うと、熊本に住む人とは、考えやセンスが異なり、特に夜のお酒が入れば入るほどに、語れば語るほど色々な芸術引出しを持っている方であり、こちらの突っ込みも見事に名回答を出すことが度々あった。 

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