ある日の夜の九時をまわったころ、兄のような存在である病院の院長から、「病床オーバーで、病院に指導が入るようで。」と連絡が入り、直ぐさま院長宅に飛んでいった。そこには、いつもの笑顔が脱色したかのような、初めて見る院長の姿があった。「事務局の書類が遅れ遅れで、入院可能なベッドの許可以上に患者さんが押し寄せて、どうしても入院させてあげないといけないので・・・でも医療法上、許可ベッド数以上に入院はさせられず・・・」 許可ベッド数以上に入院させた事に対し、厳しい指導が入ると情報を得た、とのことであった。マスコミに流れてはいけないと考え、翌日から、院長と二人で、全マスコミを訪問した。マスコミにも何故入院させなければならなかったかの真意を伝えなければ、との思いであった。しかし、その甲斐もなく、あるメディアが大きく「〇〇病院、定床オーバーする!」と報道した。 翌日には、殆どのメディアは一斉に報道した。その夜、院長と浩は、がっくりしながらも、これからの対応を考えることにした。 それから数日後、浩の修行や生活でお世話になったお寺の師匠から一本の電話が入った。「浩よ、おまえ、病院の事務局長としてニ、三年勤めてくれないか?ニ、三年で良いから。」この電話は、浩にとっては、救いの電話であった。 五年を超えて、お寺で生活をさせて頂き、師匠としては、将来は末寺の住職でもと考えられて育てておられたであろう浩が、ある日突然いなくなったこと。その事での落胆の様子は、百人もの大所帯のお寺(お寺というより大寺院)の中での同期の僧侶から情報として入っていた。そしてその後、東京の新聞配達店にいた浩宛に、師匠からのお手紙で、「もう、浩は僧侶にならなくて良い。ただ、これから東京で生活すればお前の場合は、塵だろう。熊本に帰って来て頑張れば、将来は雄となって輝くことだろう。」とのお言葉であった。不義理を少しでも償う為にも、先ずは郷里の熊本に帰ってきた。それから猛勉強して国家資格も取れ、お陰様で今日の日がある。師匠の言われた事は、正しかったと思った。有名な東京の大学に進学し就職した友人たちは、必ずしも輝いていなかった。 そして今回、師匠からの直々の電話があり、声が震えるように「ありがとうございます。お師匠様、喜んで受けさせて頂きます。」電話が終わった後の浩の心は晴れやかだった。 弁護士の友人などからは、「なんでそんな馬鹿な事をするんだい。病院の事務長とは、便所掃除か駐車場の整理ばするところだろ。せっかくの国家資格を活かせないじゃあないか?いくらもらうんだ。」友としては当然の心配と思いやりの言葉であった。 病院は立ち上がりできつかったので、経営状況が良くなるまではと、院長に月給十万円でお願いしますと申し出た。子供一人、家賃三万八千円、先がどうなるかなども考えていなかった。先ずは病院の経営が安定するまでは、本来は頂くべきではないと考えた。 しかし浩にとってそのような事は些細なことであった。やっと、今までの不義理がここでお返し出来る喜びでいっぱいであった。
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